美泉定山
みいずみじょうざん
- 歴史的人物
- 男神・男性

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祭神ランキング1527位
- 僧侶
江戸~明治 [1805年~1877年]
美泉定山とは?
美泉定山(1815-1877)は江戸時代末期~明治時代前期の修験者。備前国(岡山県)にある曹洞宗妙音寺の次男。札幌の定山渓温泉を発見し開発した人物。17歳で仏門に入り5年間に及ぶ修験道の荒行を経て法号を定山とした。修行後定山は松前を経て江差に入り、さらに蝦夷地(北海道)に向かい熱心に布教活動を行った。次いで蝦夷地の布教活動のとして小樽に入った定山は地元のアイヌ民から山中の温泉の存在を知り温泉開発に赴く。温泉を発見した定山は山中を切り開き湯治場を設置したが往来の厳しい深山に分け入らねばならないために訪れるものは少なかった。そこで定山は幕府の石狩役所へ温泉への山路の開発を陳情、しかし、この話は戊辰戦争勃発となり立ち消えとなった。その後、再度明治政府の北海道開拓使に温泉開発を再度陳情。開拓使長官である東久世通禧が現地を視察した際には定山の熱意に感銘を受け、当地を定山渓と名付けた。また、定山本人を湯守に任命し官営温泉事業定山渓温泉は本格的に開発された。 定山は札幌市南区定山渓温にある定山渓神社に祭神として祀られている。定山渓神社は温泉の開祖と言われる少彦名神ら5柱を祭神として創建された神社であり、定山は昭和に入り合祀された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
