樋口兼光
ひぐちかねみつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

徳音寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [~1184年]
樋口兼光とは?
樋口兼光(1150-1184)は平安時代後期の武将。中原兼遠の次男であり、信濃国上伊那郡樋口あたりを領地としていた事から樋口と名乗る。兼光は乳母子として源義仲と共に育ち、長じては木曾4天王の一人と謳われている。義仲が以仁王の令旨を受け打倒兵士を目的として蜂起、兼光もまた挙兵し義仲に従う。兼光は倶利伽羅峠の戦いでは平維盛の軍を退けるなど武功を挙げ、この勢いに乗って義仲軍は入京を果たす。京より兵士を追い落とした義仲軍であったが、後白河法皇ら朝廷側との折り合いはうまくいかなかった。義仲は兵士を追い西国に出兵した際には京に朝廷側への目付として兼光を残したが、その間隙をついて後白河法皇が挙兵した。義仲軍は法皇軍を攻め、兼光は後白河法皇を拘束した。その後、義仲と対立していた源行家を追討するために兼光は河内国に出兵するが、源義経が京に入ったことを聞きつけ急ぎ立ち戻った。しかし、兼光が京に立ち戻ったさいにはすでに多勢に無勢の状況に陥っており、兼光は義経に投降した。義経は兼光の武功を惜しみ後白河法皇に助命を嘆願するが聞き入れられず処刑された。 兼光は群馬県渋川市にある木曾三柱神社に祭神として祀られている。木曾三柱神社の主祭神は兼光の兄今井兼平である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
中原兼光なかはらのかねみつ
その他
祀られている主な神社
祖靈社
(長野県辰野町大字樋口2405)
