畠山重忠
はたけやましげただ
- 歴史的人物
- 男神・男性

月岡芳年(芳年武者无類 パブリック・ドメイン)

緑亭川柳(英雄百首)
祭神ランキング776位
- 武人
平安~鎌倉 [1164年~1205年]
畠山重忠とは?
畠山重忠(1164-1205)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将であり、鎌倉幕府の有力な御家人。父は畠山重能。源頼朝の挙兵直後は敵対するが、のちに臣従し治承・寿永の乱で活躍した。軍略と武勇に長けており常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重用されていた。1187年に梶原景時に謀反の疑いをかけられたが、重忠の忠誠心を感じ入った頼朝は褒美を与えて帰した。重忠は1189年の夏の奥州合戦でも先陣を務め勝利。戦後処理で郎党の由利八郎を景時が取り調べたが、景時の高圧的な態度に由利は頑なに応じようとしなかった。頼朝は重忠に取り調べを命じ、重忠は由利に礼を尽くして接し、そんな重忠に対して由利は「先ほどの男(景時)とは雲泥の違いである」と取り調べに素直に応じたという。1204年、重忠の子・重保が北条時政の後妻・牧の方の娘婿・平賀朝雅と喧嘩になった。これをきっかけに牧の方は重忠重保親子の謀反を訴え、時政は押し切られる形で重忠討伐が決まった。鎌倉で騒ぎが起こったと聞き馳せ参じた重忠は、武蔵国二俣川で討ち死にした。享年42。 埼玉県比企郡嵐山町の菅谷神社では、重忠を御祭神として祀っている。この神社は重忠自身が武運長久の守護神として近江の日枝神社から分霊を勧進したことが始まりである。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
大塚神社
(鹿児島県東串良町新川西5095)
