白井矢太夫 神社の神様 - 神社ファン

白井矢太夫

しらいやだゆう

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩士(鶴岡藩)

江戸 [1753年~1812年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 白井矢太夫とは?

    白井矢太夫(1753-1812)は江戸時代の武士。出羽国(山形県)庄内藩士の子として生まれる。庄内藩士で儒学者の加賀山寛猛に師事し徂徠学を学び、江戸へ出て寛猛の師でもある太宰春台らに教えを受ける。国に戻り藩主・酒井忠徳の下で改革御用掛に任ぜられ、財政、農政の改革に取り組む。立案した政策に則り、農村を再建し殖産興業を推進した結果、藩の財政は好転。庄内藩は江戸藩邸のある場所から、神田大黒と呼ばれるようになった。藩政の振興と、藩士の子弟の教育を目的とした藩校・致道館の創立にも尽力し、矢太夫は致道館の祭酒(校長)に就任した。到道館は徂徠学を教学とし、儒教の教えである孝悌忠信を重んじ、武士道を身に着け、討論を交わし互いを高め合う教育を行った。矢太夫は忠徳の信任も厚く中老にまで出世するが、幕府の不興をかい2年後に職を解かれる。その後、病を得て退官し隠居生活に入り、60歳で死去した。 矢太夫は白山神社(山形県飽海郡)で祭神としてまつられている。白山神社は、致道館の資金とするために開拓された白井新田村に建立された。当時、不毛の地であった鳥海山麓を開拓した矢太夫を白井大明神として生前にまつり、現在の白山神社の前身となった。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。