梅北国兼
うめきたくにかね
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~安土桃山 [~1592年]
梅北国兼とは?
梅北国兼(?-1592)は戦国~安土桃山時代の武士。薩摩国(鹿児島県)肝付氏の一族である梅北家に生まれ、南九州の一大氏族・島津氏の有力家臣として、大隅、山田、湯之尾などの地頭を歴任した。国兼は、1592年の文禄の役に豊臣秀吉の命を受け朝鮮に出兵した加藤清正の不在を突き、その領地・肥後国(熊本県)佐敷城を占拠。しかし3日後には、佐敷城留守居衆の手によって国兼が討ち取られたことで終焉を迎えた。秀吉の朝鮮侵略に抵抗しての反乱ともいわれるこの事件は梅北一揆と呼ばれ、国兼と同じく島津氏の家臣、東郷甚右衛門、田尻但馬や町人が反乱に加わり、その人数は2000人に上るといわれる。また近年、佐敷城を占拠したのは15日間であったともいわれ、当初伝わってきたものよりも規模の大きな反乱だったとの説もある。名護屋城に届けられた国兼の首は浜辺に晒され、妻子や一族は名護屋で磔刑となり梅北一族は滅亡した。 国兼は梅北神社(鹿児島県姶良市)で主祭神としてまつられている。国兼は湯之尾の地頭に転任する前の23年間は、山田の地頭として一帯を治めていた。玉城山を居城とし、梅北神社の建つ北山には外敵に対する備えのための城を築いたとされる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
梅北神社
(鹿児島県姶良市北山4315)
