梅津利忠
うめづとしただ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- その他
江戸 [1637年~1690年]
梅津利忠とは?
梅津利忠(1637-1690)は江戸時代の武士。梅津憲忠の孫で梅津忠宴の兄。出羽国(秋田県)秋田藩の名家・梅津家に生まれる。利忠は病気のため退官し、家督も弟の忠宴が継いだが、祖父・憲忠の代から藩命によって受け継がれてきた、新田開発の一大事業に携わっている。資金集めのため一時的に中断した工事は利忠の代で再開し、忠宴に事業が引き継がれるまでに、3千両の資金と3年の歳月をかけ、激しく蛇行していた河川の改修工事を行った。秋田藩士の兵学者・今村正員に兵学を学ぶ一方、連歌、和歌、書など文化面においても師について多くを学んだ。藩主・佐竹氏に崇敬された男鹿市の赤神神社には、利忠が記した「本山縁起別伝」が残されている。赤神神社には他にもいくつかの縁起があるが、利忠によるものが一般に広く知られる縁起となっている。 利忠は神明社(秋田県秋田市)で祭神としてまつられている。憲忠によって開拓の成功を願って建立され、村の祈願所とした神明社には梅津家3代4柱が合祀されている。完成まで80年に渡り、困難な工事に巨額の資金を要した大事業に携わった梅津家の人びとの偉業は称えられ、この地域の鎮守の森として長く崇敬されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
神明社
(秋田県秋田市仁井田字堂回23)
