梅津政景
うめづまさかげ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 家老(久保田藩)
安土桃山~江戸 [1581年~1633年]
梅津政景とは?
梅津政景(1581-1633)は安土桃山~江戸時代の武士。兄弟に梅津憲忠がいる。下野国(栃木県)に生まれ、浪人の父に従い常陸国(茨城県)に移り住んだ。兄・憲忠と共に佐竹義宣に仕え、義宣が出羽国(秋田県)に転封されると兄弟してそれに従った。秋田藩直営の院内銀山に赴任し、銀山奉行となりその開発にあたった。その後も総山奉行、勘定奉行と昇進し、兄に次いで家老となった際には町奉行を兼任。藩政の中枢において能吏としての才覚を発揮し、秋田藩の創成期を支えた。病気療養中の1633年に藩主・義宣の訃報に接し、病の身を押して葬儀を取り仕切ったが、自身もその後を追うように死去した。政景が銀山奉行として赴任した日から、死の直前まで綴った日記は「梅津政景日記」と呼ばれ、政務や諸行事に関する内容が記されていることから、初期の秋田藩を知るうえで貴重な史料とされる。 政景は岩関神社(秋田県能代市)で祭神としてまつられている。政景は、水利が悪く住民の少ない比井野村に用水路を引くため、農民を指導して開削工事を行い、現在も使用されている岩堰用水路を完成させた。後年、神社が建立され、開拓に力を注ぎ偉業を成し遂げた政景をまつった。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
岩関神社
(秋田県能代市二ツ井町字山根72)
