梅津憲忠
うめづのりただ
- 歴史的人物
- 男神・男性

秋田県公文書館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 家老(久保田藩)
安土桃山~江戸 [1572年~1630年]
梅津憲忠とは?
梅津憲忠(1572-1630)は安土桃山〜江戸時代の武士。兄弟に梅津政景がいる。下野国(栃木県)に生まれ、浪人の父の元、常陸国(茨城県)で少年時代を過ごす。常陸国を領していた佐竹義宣に仕え、半右衛門と名乗った。関ヶ原の戦いで義宣が西軍に属したことで、出羽国(秋田県)に減封、転封されたがそれに従う。転封後は側近として仕え、弟の政景や渋江政光らと初期の藩政に取り組んだ。また大坂冬の陣では徳川方として出陣。「佐竹の黄鬼」の勇名を馳せるなど多くの武功を上げ、2代将軍・徳川秀忠より感状を与えられなど、文武両面において優れていた。合戦後は家老に就任。以降、梅津家は幕末まで代々家老を輩出する家系となった。家老となってからは、田制を整え税法を定め藩政の基礎作りに尽力した。1630年59歳で死去。 憲忠は神明社(秋田県秋田市)で祭神としてまつられている。佐竹家の家老として、当時は原野が広がっていた仁井田開拓の藩命を受けた憲忠は、新田開発と堰の開削に取り組む。この際、開拓の成功を祈念して、山形県の羽黒山湯殿山を勧請し村の祈願所とした。憲忠は開拓の完了を見ることなく死去したが、仁井田堰開墾の祖として神明社にまつられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
神明社
(秋田県秋田市仁井田字堂回23)
