波多野秀治
はたのひではる
- 歴史的人物
- 男神・男性

東京大学史料編纂所所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~安土桃山 [~1579年]
波多野秀治とは?
波多野秀治(?-1579)は戦国時代の武将。波多野晴通の長男であり、本家筋に当たる伯父の波多野元秀の養子となり家督を継いだ。波多野氏は室町時代の後期に細川政元から波多野清秀が丹波多紀郡に所領を賜り、以降4代にわたって栄えた大名家であり秀治はその最後の当主となる。秀治は三好長慶、松永久秀らによって居城である八上城を簒奪され10年の長きにわたり流浪の生活を強いられた。しかし、荻野直正や別所氏の援助を受けて八上城を奪還し再び丹波に勢力を確保する。織田信長が上洛するに至った際には数々の金品を献上し友好を結んだが、将軍足利義昭と信長の関係が不仲になるにしたがって、秀治は義昭側に与し信長と対立、毛利氏などと縁を結ぶようになる。信長は明智光秀を総大将として丹波攻略を開始。光秀は調略を駆使し秀治も一時は光秀に加担し周辺豪族の討伐に加わっている。しかし、突如秀治は信長に反旗を翻し明智軍と戦闘に及んだ。秀治が反旗を翻した理由は現在でも不明であると言われている。八上城に籠城した秀治は抵抗むなしく信長軍の軍門に降り、安土城に送られた上磔となり、波多野氏は断絶した。 秀治は兵庫県丹波篠山市にある味間御霊神社に祭神として祀られている。味間御霊神社は江戸時代中期に建立された神社であり、当地の大庄屋の波多野源左衛門定吉は秀治の孫であると言われている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
二村神社
(兵庫県丹波篠山市味間奥280番)
