日野資朝
ひのすけとも
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1003位
- 公卿
- 学者
- 茶人
鎌倉 [1290年~1332年]
日野資朝とは?
日野資朝(1290-1332)は鎌倉時代末期の公卿。父親は権大納言を務めた藤原北家の日野俊光、生母は不詳。宋学を納め朝廷随一の秀才と謳われた資朝は第95代花園天皇の蔵人となる。大覚寺統の後醍醐天皇即位後も持明院統の花園上皇に仕えていたが、その才気から後醍醐天皇にも重用されるようになり蔵人頭、検非違使別当などを歴任、徐々に大覚寺統に与するようになり父俊光とは異なった道を歩くようになった。もともと破天荒な人格で権威におもねることが無い性格と言われた資朝は、後醍醐天皇が企てる鎌倉幕府打倒の計略に加わり、中心的な存在となって行く。資朝は後醍醐天皇の意を受け東国に向かい鎌倉武士らを味方に引き入れるべく活動するが、企てが六波羅探題に露見し佐渡に流罪とされた。いわゆる正中の変である。後醍醐天皇はその後も討幕の活動を継続するが、笠置山に籠城した後に隠岐に配流となり、資朝も連座の罪を問われて配流先の佐渡で斬首された。 資朝は新潟県佐渡市にある真野宮に祭神として祀られている。真野宮はもともと真輪寺という国分寺末寺であったが、明治維新後の廃仏毀釈により神社に転換した。資朝は明治8年に真野宮に合祀され従二位を追贈されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
