日秀
にっしゅう
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 僧侶
室町 [1503年~1577年]
日秀とは?
日秀(1533-1625)は安土桃山時代後期~江戸時代初期の尼僧。父親は木下弥右衛門、母親は豊臣秀吉の母でもあり大政所とも呼ばれた天瑞院である。後に三好吉房となる農民の弥助の元に嫁ぎ、秀次となる治兵衛、秀勝となる小吉秀保となる辰千代を産んだ。秀吉の嫡子である鶴松が幼少にして死去すると秀吉は秀次、秀勝を養子とした。しかし、秀吉に新たな嫡子お拾いが生まれると養子とした秀次、秀勝が疎ましくなり、秀勝は文禄の役で朝鮮出兵中に死亡、秀次は秀吉の後を継ぎ一旦は関白となったがその地位を追われ高野山で切腹となった。この際に夫の吉房も連座となり隠岐に流罪となり、日秀からみて孫にあたる秀次の子らも秀吉によって打ち首にされた。日秀は秀次らの菩提を弔うために出家、本圀寺の空竟院日禎を招き仏門に入った。日秀は京都に瑞龍寺を建立、後陽成天皇からは寺領として1000石を献上された。瑞龍寺は村雲御所と呼ばれ、皇女や公家の娘が門跡となる格式の高い寺院となった。 日秀は京都府京都市にある豊国神社に祭神として祀られている。豊国神社は主祭神が豊臣秀吉であり、秀吉の縁者も合わせて合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
