尼子経久
あまごつねひさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

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祭神ランキング1527位
- 大名
戦国 [1458年~1541年]
尼子経久とは?
尼子経久(1458-1541)は室町~戦国時代の武士。尼子清定の子で尼子政久らの親。出雲国(島根県)守護代・尼子氏に生まれる。人質として主君・京極政経の元、京都で幼少期を過ごし、出雲に帰国後、父より家督と守護代職を継いだ。経久は寺社本所領を押領し段銭を納めなかったことで、守護代職を罷免され、居城・月山富田城を追われた。浪々の身となった経久だが、数年後には月山富田城を奪還。次いで近隣の国人衆を制圧し、出雲国の支配を確立していった。その後は、山陰・山陽に渡り勢力圏を拡大。「十一カ国太守」と呼ばれまでになる。しかし、一方で嫡男・政久の討死や、養子に出した3男・塩冶興久が反乱の末に自害するなどして息子たちを失っている。家督は政久の子・嫡孫の尼子晴久に譲り、自身はその後見となった。晴久が大内氏との戦いで大敗を喫した1541年、月山富田城において84歳で死去した。 経久は尼子神社(島根県安来市)で祭神としてまつられている。創建は明治時代で、尼子氏のようにこの地が発展することを願い、月山富田城跡に建立された。祭神は3代までの城主の他、滅亡した尼子氏を再興させるために尽力した、山中鹿之介ら「尼子十勇士」がまつられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
藤森神社
(鳥取県南部町原362番)
