南部利敬 神社の神様 - 神社ファン

南部利敬

なんぶとしたか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
南部利敬

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(盛岡藩)

江戸 [1782年~1820年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 南部利敬とは?

    南部利敬(1782-1820)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。陸奥国盛岡藩10代藩主。父は南部利正。1784年に父・利正の死去により家督を継いだが、若干2歳であったため改易や減俸を恐れ、1779年生まれと偽り届け出を出されていた。1795年、11代将軍・徳川家斉に御目見し、同年にようやく盛岡藩へと入った。当時の領内は、先々代の飢饉の影響と、天明の大飢饉によって多数の死者を出すなど荒れに荒れていた。しかし利敬が蝦夷警備などで功績を挙げ昇進するにつれて、盛岡藩も1808年に10万石から20万石に加増され力を付けていった。当時、蝦夷地や盛岡藩はロシアからの侵略行為にさらされており、利敬は領内に問題を抱えながらも、箱館奉行の指揮のもと蝦夷地警備を務め続けたことが評価されたのだった。内政でも、司法機関にあたる評定所を設置し「文化律」と呼ばれる法典を制定。長きにわたって下り坂であった藩政をなんとか立て直そうとしていたが、1820年に39歳の生涯を閉じた。 岩手県盛岡市内丸の盛岡城跡公園にある櫻山神社では、盛岡藩藩祖・南部信直や8代藩主・利規らとともに利敬が主祭神として祀られており、周辺は見事な桜や紅葉で人々に親しまれている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。