南部長継
なんぶながつぐ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1003位
- 武人
鎌倉~南北朝 [~1352年]
南部長継とは?
南部長継(?-1352)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武士。波木井南部氏・根城南部氏3代当主。父は南部実継。1327年、鎌倉幕府の命により、陸奥国で安藤季久と季長の兄弟が起こした安藤氏の乱の鎮圧のため、宇都宮高貞や小田高知ら関東武者とともに甲斐から糠部へと下向。子・貞継とともに参陣した。この乱は鎌倉幕府の裁定・命令に初めて背き内乱が続けられた事件であり、騒乱は7か月と長期に及んだ。かねてから幕府に対して不満を抱いていた京都の公卿や武士たちはひそかに幕府転覆の期をうかがって、1331年の元弘の変に発展していった。前年に上洛して護良親王を奉じ楠木正成の麾下となっていた長継だったが、父・実継は倒幕の陰謀に加担したとして捕縛され、足利尊氏と対立した護良親王もまた捕縛・幽閉された。その後、中先代の乱勃発に乗じて護良親王が殺害されてしまったため、長継は若宮の子である興良親王を奉じ入道法達を名乗った。1352年、摂津国甲山の麓で興良親王が赤松則祐と合戦して敗れた戦いで、長継も討ち死にしたとみられている。 岩手県遠野市東舘町・鍋倉城跡の中腹にある南部神社では、南部実長、実継らとともに長継を主祭神として祀っている。初めは鍋倉神社といい、昭和15年に現在の南部神社と改称した。
ご神徳
ご神徳は不明です。
