南部信政
なんぶのぶまさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1003位
- 武人
南北朝 [~1348年]
南部信政とは?
南部信政(?-1348)は、南北朝時代の武将。幼名は三郎。南部政長の子とされており、根城南部氏6代当主である。1335年に北畠顕家が上洛する際、伯父である南部師行の代理として南部一族を代表して付き従い、幕府に背いた足利尊氏の追討の戦で手柄を立てた。戦では騎馬隊を率いていたという。1345年に北畠顕信に推挙され右近蔵人となって、後醍醐天皇が開いた吉野朝廷へと上がり、後醍醐天皇の同母姉・達智門女院に仕えることとなった。なお、信政は家督を継ぐ前に死去したと伝えられており、父の政長から信政の子・信光へと継承されている。「東北太平記」によると、1348年の四條畷の戦いに参加した信政は、高師直軍との戦いで討ち死にしたと伝わっている。また、「寛政重修諸家譜」などの系譜類では、信政の戦功が三戸南部氏の南部為重の名で記されており、為重は信政と同一人物である可能性がある。 岩手県遠野市東舘町にある南部神社は、元は鍋倉神社という名で建立され、昭和15年に南部神社と改称、34年に信政らを合祀し八公祭神として祀っている。周辺は鍋倉公園として整備されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
