鍋島清久
なべしまきよひさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国 [1490年~1544年]
鍋島清久とは?
鍋島清久(1490-1544)は、戦国時代の武将。鍋島氏4代当主で、鍋島直茂の祖父。龍造寺氏の家臣。父・鍋島経房は少弐氏の出身で、母方の鍋島氏を継承していた。元々は古くから肥前にいた小土豪だったが、1530年に周防の大内義隆が筑前守護代杉興運を大将として肥前へ侵攻し、龍造寺家兼と戦った「田手畷の戦い」で、清久は劣勢であった家兼側につき赤熊の面を被って大内軍に突進し、混乱した大内軍は筑紫尚門や横岳資貞などが討ち死にした。この戦いの功績により、清久は家兼に実力を認められ、龍造寺の家臣となった。また、家兼は清久の次男・清房に龍造寺家重の娘を娶らせ、本庄八十町を与えたという。その後、家兼は少弐氏家中で勢力を増し、それに危機感を抱いた馬場頼周によって筑後に亡命させられた。筑後に逃れた家兼を再び佐賀へ戻すため、清久は千葉氏の内紛に乗じて千葉胤勝や佐賀郡与賀・川崎の郷士と手を組み協力を得て、1543年、家兼は水ケ江城を奪還した後、小城の祇園城に居た馬場頼周を攻めて討ち取った。その翌年、清久は54歳で死去した。 佐賀県佐賀市松原にある松原神社には、鍋島直茂らとともに清久も祭神として祀られている。この神社は1772年に創建されており、清久は1817年に合祀された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
