鍋島勝茂 神社の神様 - 神社ファン

鍋島勝茂

なべしまかつしげ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
鍋島勝茂

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 大名

安土桃山~江戸 [1580年~1657年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 鍋島勝茂とは?

    鍋島勝茂(1580-1657)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。肥前国佐賀藩藩主。龍造寺隆信の重臣・鍋島直茂の長男。隆信の死後、龍造寺高房が幼少であったため筆頭重臣の直茂が代わって国政を行っていた。豊臣秀吉の朝鮮出兵でも直茂が龍造寺軍の総大将として出陣し、慶長の役では直茂とともに勝茂も渡海し、蔚山城の戦いで武功を挙げた。1600年の関ヶ原の戦いでは勝茂ははじめ西軍に参加していたが、父・直茂からの急使で東軍へと寝返る。本戦には参加せず、戦後すぐに黒田長政の仲裁で徳川家康に謝罪したおかげで肥前国佐賀の安堵を認められた。1607年に高房と龍造寺政家が死去すると幕府に認められ正式に龍造寺の遺領を継いだ。内乱などには至らなかったが、石高のほとんどは旧龍造寺家臣団と鍋島譜代の家臣団への知行分となってしまい、藩主の直轄領が6万石ほどしか残らなかったため財政難に苦しんだ。そのため干拓などの増収政策に勤しみ、検地も実施した。1642年からは長崎警備を命じられ、この任は11代藩主鍋島直大まで続く。1657年、78歳で没した。 佐賀県佐賀市松原にある佐嘉神社の境内に松原神社があり、中殿に直茂らとともに勝茂が御祭神として祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。