内藤家長
ないとういえなが
- 歴史的人物
- 男神・男性

内藤記念館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~安土桃山 [1546年~1600年]
内藤家長とは?
内藤家長(1546-1600)は安土桃山時代の武将。内藤清長の嫡男。内藤家は代々三河武士の家系で徳川家に仕える譜代の家柄である。家長は義兄の内藤信成より家督を譲り受け当主となり徳川家康に仕える。父清長と共に一向宗の門徒であったが、三河一向一揆の際には父とは袂を分かち家康の家臣として一揆の鎮圧に貢献する。弓の名手として武芸に秀でた家長はその後も三方ヶ原の合戦、長篠の合戦、小牧長久手の合戦と次々に大きな戦で武功を挙げ、家康軍の重要な一角を担い、家康の嫡男信康の死に際しては信康の家臣団の多くを預けられ、同時に家康から家の文字を偏諱として賜りこの時から家長を名乗るようになった。豊臣秀吉の死後、石田三成と家康の対立が激化し、関ヶ原の戦いを間近とする時期に家長は鳥居元忠とともに伏見城に籠城。家康の東軍が西にのぼるための時間稼ぎとして西軍の武将と奮戦しついには城内で自刃した。 家長は宮崎県延岡市にある亀井神社に祭神として祀られている。もともと菅原道真を祀る天神社であったが、江戸時代に入り延岡藩主となった内藤家が家長の霊を勧請し、明治時代に入り亀井神社と改称された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
