内古閑基貞
うちのこがもとさだ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
南北朝
内古閑基貞とは?
内古閑基貞(?-?)は、室町時代の豪族。藤原北家日野流、伊賀服部氏流の流れを汲む。伊賀守・藤原鎮基の長男。服部内空閑家に伝来する系譜によれば、当時備前守だった藤原基貞が肥後に下向し、菊池氏の家臣となり、1390年に山本郡の内空閑村を領したことから内古閑姓を名乗ったという。内古閑氏はその後も代々菊池家家臣として従っていたが、菊池氏は徐々に衰退し、それとともに勢力を増した大友氏へと主君を替えた。島津氏、龍造寺氏などからの侵攻の中を生き延び、豊臣秀吉の九州平定が成ると、秀吉に従い山本郡の1500町を安堵された。しかし肥後国が秀吉から佐々成政へ与えられると成政は強引に検地を進めた。これに反発した隈部親永らが一揆をおこし、内古閑氏もこの一揆に味方した。この事態を重く見た秀吉は、成政と親永らに切腹を命じた。内古閑氏は落ち延びるかと思われたが、頼った先の柳川城城主・立花宗茂によって討ち取られ、内古閑氏は滅亡した。一部は「財満」という姓を名乗り存続したという。 熊本県熊本市北区植木町にある正院嚴島神社には、内古閑鑑貞とともに基貞が御祭神として配祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
正院厳島神社
(熊本県北区植木町山本132番)
