那須与一
なすのよいち
- 歴史的人物
- 男神・男性

渡辺美術館所蔵(パブリック・ドメイン)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング776位
- 武人
平安 [1169年~1189年]
那須与一とは?
那須与一(?-?)は平安~鎌倉時代の武士。那須資隆の子。下野国(栃木県)那須郷に生まれる。名は宗隆といい、与一は11男であることの通称。1180年に始まる治承・寿永の乱では源義経に従い出陣した。屋島の戦いにおいて、平家方の船に掲げられた扇を馬上から一矢で射落としたとの「平家物語」の逸話が有名で、後に浄瑠璃や能などに脚色され広く知られるようになった。この功により、丹波国(京都府)五賀庄など五カ所の荘園を源頼朝より賜り、11男ではあったが父の跡を継ぎ那須家2代目当主となる。与一は山城国(京都府)伏見で病死したとされ、即成院に墓所が残るが、一説には戦死した人々を弔うため出家したともいわれる。与一ゆかりの神社は各地にあるが、栃木県の那須神社や那須温泉神社などは、与一が屋島の戦いで扇を射る際に祈念したとされ、凱旋した与一が太刀や鏑矢などを奉納したと伝えられている。 与一は那須神社(神戸市須磨区)などで祭神としてまつられている。那須神社は北向厄除八幡神社の境内社で、与一が北向厄除八幡神社を自らの守護神として崇敬し、合戦後のお礼参りで訪れたこの地で病没したとの言い伝えがある。大正時代に勧請され、境内に那須神社が建立された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
那須宗隆なすのむねかた
その他
