徳川斉昭 神社の神様 - 神社ファン

徳川斉昭

とくがわなりあき

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
徳川斉昭

都大学付属図書館所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(水戸藩)

江戸 [1800年~1860年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 徳川斉昭とは?

    徳川斉昭(1800-1860)は江戸時代後期の人物。徳川治紀の子で、徳川慶喜らの親。水戸藩(現在の茨城県)江戸小石川藩邸で生まれる。幼少時は会沢正志斎の下で水戸学を学んだ。水戸学は水戸藩で発展した政治思想の学問であり、斉昭は早くから聡明さを示していた。そのため藩内の学者や下士層からの信頼は厚く、長兄で水戸藩8代藩主・徳川斉脩が病に罹ると、斉昭を後継に推す家臣40名余りが無断で江戸に上り陳情する騒ぎまで起きた。なお斉脩の遺言状にも斉昭に家督を譲る旨が記載されおり、斉昭は無事水戸藩9代藩主の座に就いている。藩政では藩校・弘道館を設立し、門閥派を抑えて下士層から広く人材を登用した。その他にも積極的に藩政改革を実施してゆき、斉昭の改革が水野忠邦の「天保の改革」に示唆を与えたと言われている。ところが1853年のペリー来航に際しては井伊直弼と激しく対立し、安政の大獄に伴って命じられた蟄居の最中、斉昭は病にてこの世を去った。 水戸黄門の通称で知られる徳川光圀と並び、斉昭は水戸藩に多大な影響を与えた人物として知られる。そのため茨城県水戸市の常盤神社では、徳川斉昭と徳川光圀の両名を祭神として祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    押健男国之御楯命

    おしたけおくにのみたてのみこと

    その他

    奈里安紀良之命

    なりあきらのみこと

    その他