徳川秀忠
とくがわひでただ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 征夷大将軍
安土桃山~江戸 [1579年~1632年]
徳川秀忠とは?
徳川秀忠(1579-1632)は安土桃山時代~江戸時代前期の人物。徳川家康の子で、徳川家光らの親。かの徳川家康の三男として遠江国(現在の静岡県)に生まれた。誕生から五ヵ月後には長兄・信康が切腹し、次兄・秀康は養子に出されていたため、秀忠は三男でありながら嫡男の待遇で育てられている。ところが関ヶ原の戦いでは、秀忠が指揮した部隊が関ヶ原本戦に間に合わないという大失態を演じ、父の不興を買ってしまう。さらに多くの家臣が秀忠の弟達を後継に推したため、一時秀忠の地位は危うかったという。しかし重臣の大久保忠隣が「武勇だけでなく文徳も必要」として秀忠を推薦し、家康も助言を聞き入れて秀忠を後継者とした。無事に江戸幕府2代将軍となった秀忠は、武家諸法度の制定、大名領知宛行状の発布など、独自の政策で江戸幕府の基盤を固めていく。また秀忠はキリシタン禁制を強化した人物としても知られており、日本の宗教観に与えた影響は極めて大きいと言える。 秀忠を祀っているのは、静岡県浜松市の三方原神社。同神社は旧浜松城内に存在した「東照宮」を遷宮したもので、家康を主祭神としているが、二代将軍・秀忠および三代将軍・家光の2柱を合祀している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
