徳川綱誠 神社の神様 - 神社ファン

徳川綱誠

とくがわつなのぶ(つななり)

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩主(尾張藩)

江戸 [1652年~1699年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 徳川綱誠とは?

    徳川綱誠(1652-1699)は江戸時代前期の人物。徳川光友の子で、徳川吉通らの親。妻は新君ほか。尾張藩(現在の愛知県)2代藩主の次男として生を受けた。元服後、叔父で江戸幕府4代将軍の徳川家綱と、実父の光友から一字ずつ賜り「綱義《つなよし》」を称したが、後に5代将軍の徳川綱吉との同音を避けるため「綱誠」に改名している。綱誠は幼少より血統の良さと英明に評判が高く、文教に力を注いだ。藩領の地誌として「尾張風土記」の編纂を命じた他、祖父・徳川義直の「敬公御徳義」を撰述するなど、綱誠の功績には学術的な価値あるものが多い。1693年には家督を継いで尾張藩3代藩主となっているが、就任後も光友の威光が続いたため、綱誠の治世は父親の影に隠れてあまり目立たなかった。その上、綱誠は1699年に48歳の若さで急死してしまう。死因は草苺を食べたことによる食あたりで、皮肉にも大食漢・食道楽として知られた綱誠らしい最期だった。綱誠の死後、尾張藩の家督は十男の吉通が継いだ。 綱誠を祭神として祀るのは、愛知県江南市の川島神社など。また綱誠が生前に祈願所とした松山神社(名古屋市東区)を始め、愛知県には綱誠に縁のある神社が多い。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    徳川綱誠

    とくがわつななり

    その他