徳川光友
とくがわみつとも
- 歴史的人物
- 男神・男性

清浄寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(尾張藩)
江戸 [1625年~1700年]
徳川光友とは?
徳川光友(1625-1700)は江戸時代前期の人物。徳川義直の子で、徳川綱誠らの親。妻は霊仙院ほか。尾張藩(現在の愛知県)初代藩主の長男として生を受けた。3代将軍・徳川家光と、実父・義直から一時づつ授かって「光義」を名乗っていた時期のほうが長いが、後に諱を光友と改めている。光友が家督を継いだのは、1650年に義直が死去した後のことだった。2代藩主に就任してからは、寺社奉行制度や評定所の設置、官制の整備を図っている。また防火制度や軍備増強、林業制度確立にも積極的に動き、尾張藩の基礎を固めた。また武芸・茶道・唐楽・書道にも優れ、特に剣術においては柳生新陰流第6世を継承するほどの腕前だったという。さらに書では、後西院、近衛信尋兄弟と合わせて「三筆」と称されることもある。両親の死に際しては建中寺・大森寺をそれぞれ建立した他、三種の神器・天叢雲剣を祀ることでも知られる熱田神宮の造営を行ったのも光友だった。寺社仏閣の建立に携わる大名は多いが、光友は特に信心深い大名の一人であったと言えよう。 光友は現在、愛知県名古屋市の古渡稲荷神社の祭神となっている。同神社には光友の父・義直と、子・綱誠も合わせて祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
徳川光義とくがわみつよし
その他
