徳川義宜 神社の神様 - 神社ファン

徳川義宜

とくがわよしのり

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩主(尾張藩)

江戸~明治 [1858年~1875年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 徳川義宜とは?

    徳川義宜(1858-1875)は江戸時代末期の人物。徳川慶勝の子。幼少期は徳川茂徳の養子として過ごしたため、茂徳より一字を与えられて「徳川徳成《ながなり》」とも称した。実父である慶勝は、安政の大獄にて隠居を命じられた大名の一人である。さらに養父の茂徳もほどなくして隠居したため、義宜はわずか6歳にして家督を継いだ。ただし表向き藩主とは言っても子供に仕事が務まるはずがなく、執政の大部分は慶勝が担っていたという。1864年に戊辰戦争が起こると、義宜は父に伴って新政府軍に帰属した。新政府軍の出征では先鋒を務め、徳川宗家の次期当主候補に名を連ねるなど、新政府軍での立場はそれなりに良好であったらしい。経歴だけを見れば、義宜は尾張藩の第16代(最後)藩主にして、尾張藩知事、左近衛中将など、様々な役職を歴任した英傑である。しかし生まれつき病弱であったことが災いし、やはり最後まで主導権は慶勝に握られていた。義宜は1875年に18歳の若さでこの世を去り、その後は慶勝が再び当主に復帰している。 愛知県名古屋市の三輪神社の主祭神は大物主神であるが、同神社を歴代の尾張藩主が崇敬していた縁から、明治以降になって義宜も合祀されている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。