藤堂高通
とうどうたかみち
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩主(矢島藩)
江戸 [1644年~1697年]
藤堂高通とは?
藤堂高通(1644-1697)は江戸時代の武士。藤堂高次の子で藤堂高敏らの親。藤堂高虎の孫で兄弟に藤堂高久らがいる。伊勢国(三重県)・藤堂家の次男として生まれる。第3代津藩主の兄・高久より5万石を分与され久居藩を立藩。初代藩主となる。久居藩は津藩の支藩として、本藩の継嗣が絶えた際にはお家存続のため跡を継ぐ目的で設立され、藩政に関しても本藩の意向が反映された。幕府から築城の許可が得られなかったため、城下町の南西に陣屋を設け、北と東に向けて町づくりを進めた。町民の宅地は無償とし菜園を与えたことから、城下への移住が進み町は大きく発展していった。高通は文人としても知られ、和歌や俳句を好み任口の俳号を持つ。俳人であり国学者の北村季吟とも交流し、著作「久居八百五十韻」を残している。久居において54歳で死去した。 高通は久居八幡宮(三重県津市)で相殿神としてまつられている。領内に鎮座していた八幡宮を、城下町の建設に合わせ御殿の鬼門にあたる現在地へ遷座した。以来、領主の守護神、土地の氏神として、歴代藩主や領民から信仰された。高通は、御殿跡に建立された久居神社にまつられていたが、1879年に久居八幡宮に合祀された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
