藤堂高虎
とうどうたかとら
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング776位
- 大名
戦国~江戸 [1556年~1630年]
藤堂高虎とは?
藤堂高虎(1556-1630)は戦国〜江戸時代の武士。藤堂虎高の子で藤堂高次らの親。近江国(滋賀県)に生まれ、15歳で浅井長政に仕え姉川の戦いなどに出陣し武功をあげる。浅井家滅亡後は、織田信澄、豊臣秀長とその後継の豊臣秀保に仕えたが、秀保が早世したことで大和豊臣家は断絶。高虎は出家し高野山にて隠遁していたが、豊臣秀吉に乞われ還俗し、伊予国(愛媛県)7万石の宇和島城主となった。関ヶ原の戦いでは東軍で参戦し、大谷吉継を討つなど活躍している。合戦後は今治城12万石が加増され、後に伊賀・伊勢国(三重県)へ加増移封され津城主となる。大坂の陣においても徳川方として参戦。多くの功をあげた。外様大名ながら幕府の重鎮となり、津藩初代藩主として32万石の大名にまで昇りつめた高虎は、晩年も精力的に活動し75歳で死去した。 高虎は高山神社、津八幡宮(三重県津市)で祭神としてまつられている。高虎は法号から「高山公」の通称で呼ばれ、高山神社はこれに由来している。創建は1876年で、藤堂家山荘の八幡社境内に建立されたが、1903年に津城址本丸跡に遷座された。津八幡宮は、藤堂家が津藩主となって以来、鎮守神社として歴代藩主に崇敬された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
