藤原武智麻呂 神社の神様 - 神社ファン

藤原武智麻呂

ふじわらのむちまろ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
藤原武智麻呂

表記なし(パブリック・ドメイン)

藤原武智麻呂

菊池容斎(前賢故実)

祭神ランキング1527位

  • 公卿

飛鳥~奈良 [680年~737年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 藤原武智麻呂とは?

    藤原武智麻呂(680‐737)は飛鳥時代末期~奈良時代前期の公卿。藤原不比等の長男であり、母親は蘇我連子の娘娼子。性格は温和にして淡泊、仏教に深く帰依していたと言われている。第42文武天皇の世に正六位上を叙し内舎人に任官するが病により職位を離れる。翌年には弟の藤原房前と共に従五位下を賜り大学頭を拝命。壬申の乱などにより散逸した書物などを再び収集し大学寮の再興に尽力した。また、近江守に任じられ地方官として従事した際には寺院政策などにも才を発揮している。父不比等が逝去すると弟前房と同時に従三位に昇進し、武智麻呂は中納言を任官する。第45代聖武天皇の代になり、左大臣長屋王が謀反の罪により自害に追い込まれた長屋王の変が勃発するが、その際に武智麻呂は長屋王を糾問し速やかに終結させるという功績を挙げている。これらの功績もあり大納言に昇任した武智麻呂は弟の前房、宇合、麻呂らを議政官に加えて藤原四子政権を実現させた。しかし、武智麻呂は当時流行していた天然痘に罹患し薨去。死去の際には正一位の官位を贈られている。 武智麻呂は奈良県大和郡山にある植槻坐藤原神社に祭神として祀られている。植槻坐藤原神社は植槻八幡神社の摂社であり父不比等と共に祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。