藤原百川
ふじわらのももかわ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1003位
- 公卿
奈良 [732年~779年]
藤原百川とは?
藤原百川(732-779)は奈良時代中期の公卿。藤原宇合の八男、母親は久米若売。もともとは雄田麻呂の名であった。770年に第48代称徳天皇が崩御した際に、後継天皇の指名をしていなかったために後継争いが勃発した。百川は天武天皇の孫にあたる文室大市を推す吉備真備らを、皇嗣を定めたとする称徳天皇の宣旨を偽造するなどして陥れ、天智天皇の皇子である白壁王を立太子に導いた。この頃雄田麻呂と称していたが百川と名乗るようになる。第49代光仁天皇として即位した白壁王は百川を厚く信任し、正四位下に叙せられた上参議に任ぜられるなど朝廷の要職を拝命することになる。その後、光仁天皇の皇后である井上内親王が天皇に対する呪詛の疑いで廃され、皇子である他戸親王もまた廃嫡となった。そのため、百済系渡来人氏族である高野新笠が生母の山部親王が立太子となり、第50代桓武天皇として践祚する。この一連の流れには山部親王の才を見極めた百川の暗躍が大きく貢献したと言われている。百川自身は山部親王の即位を見届けることなく没するが、後に天皇の外祖父として正一位太政大臣の位を贈られている。 百川は東京都小金井市にある上宮大澤神社に祭神として祀られている。上宮大澤神社は藤原百川卿の嗣子である藤原外記壽治の創建と言われている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
雄田麻呂おだまろ
その他
