藤原定家
ふじわらのさだいえ(ていか)
- 歴史的人物
- 男神・男性

Fujiwara no Nobuzane(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 公卿
- 歌人
平安~鎌倉 [1162年~1241年]
藤原定家とは?
藤原定家(1162-1241)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家、歌人。父は藤井俊成、母は美福門院加賀。「小倉百人一首」「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」を撰じた他にも「源氏物語」や「土佐日記」などの古典の書写や注釈にも携わったことで知られる。1179年に賀茂別雷神社庭で行われた会に初めて歌合として参加した。1181年に「初学百首」を詠み、翌年に父・俊成に命じられ初めての歌作「堀河院題百首」を作った。1200年頃には、摂政・九条兼実をはじめとする九条家へと仕え、「二見浦百首」「皇后宮大夫百首」「閑居百首」などを著し、歌人としての活躍が目立つようになる。九条家では出仕したばかりにも関わらず連歌の席に参加するなど、重宝された。その後も「重早卒露肝百首」などを著した。和歌を詠む一方で出世にも腐心し、内裏歌合で官途の不満をつづった和歌を持参したところ後鳥羽上皇の逆鱗に触れ、上皇失脚まで公的な和歌の活動が出来なくなった。承久の乱の後はさらに官位への執着を見せるが、1232年に権中納言を罷免され、出家した。その後は80歳で死去するまで和歌に携わった。 群馬県高崎市下佐野町にある定家神社は、定家を主祭神として祀っており、拝殿の天井には絵ではなく歌が描かれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
藤原定家ふじわらのていか
その他
京極中納言きょうごくちゅうなごん
その他
祀られている主な神社
定家神社
(群馬県高崎市下佐野町873番地)
