生駒親敬
いこまちかゆき
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(矢島藩)
江戸~明治 [1849年~1880年]
生駒親敬とは?
生駒親敬(1849-1880)は江戸時代末期~明治時代初期の武将であり官吏。父親は生駒親道、母親は唐津藩(佐賀県)藩主小笠原長泰の娘である。生駒家は旗本交代寄合の家柄であり親敬は江戸で生まれた。徳川幕府の旗本であり、東北の地は佐幕派が態勢を占める地であったが、親敬は討幕派として藩論を統一し、維新の際には維新政府より天旗ならびに軍令状を賜り庄内藩、鶴岡藩などの幕府側の藩と戦に及ぶ。庄内藩の降伏を勝ち取った功績により明治元年には1万5000石に加増され大名に列せられた。新政府の許可を得て矢島後に戻った親敬は戊辰戦争により大きな損失を追った町の復興に尽力し、新政府から1000石の恩賞も復興のために使用した翌年には版籍奉還により親敬は矢島県の知藩事となったが、その後の秩禄処分により矢島の藩は消え去り賞典禄1,000石も廃止となった。親敬は賞典禄を藩士に下賜し、旧藩士はこの資金を元に康済義社を創設し、養蚕製糸業を興業。地域の産業振興に大いに貢献した。親敬は32歳にして早世したが、明治時代後半になり功績が認められ従四位が下賜されている。 親敬は秋田県由利本荘市にある矢島神社に祭神として祀られている。矢島神社では藩祖である生駒親正と共に祭神として祀られ崇敬を集めている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
矢島神社
(秋田県由利本荘市矢島町城内字八森3-4)
