藤原忠文
ふじわらのただぶみ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 公卿
平安 [873年~947年]
藤原忠文とは?
藤原忠文(873-947)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。宇治民部卿、悪霊民部卿とも呼ばれる。参議・藤原枝良の三男。馬や鷹の名手として知られている。904年頃から左馬頭、左衛門権左、右近衛少将と武官を務め、さらに摂津守、丹波守、紀伊権守などの地方官も歴任した。939年に67歳で参議となり、940年には関東で反乱を起こした平将門追討のために右衛門督兼征東大将軍に任命された。しかし忠文が老齢を押して関東へ着いた頃には既に将門が討たれており乱は鎮圧されていて、大納言・藤原実頼が忠文への嘉賞に反対したために、忠文には恩賞が与えられなかった。さらに翌年西国で起こった藤原純友の乱でも、忠文は征西大将軍に任ぜられるも活躍の機会はあまりなかった。平将門の乱の際の大納言・実頼には相当恨みを持っていたらしく、947年に忠文が死去した同じ年に実頼の娘と息子が相次いで亡くなっているため、忠文の祟りだと恐れられた。 京都府宇治市宇治又振の末多武利神社は、前述の忠文の祟りを鎮め霊を慰めるために建立されたもので、主祭神として忠文が祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
宇治民部卿うじのみんぶきょう
その他
祀られている主な神社
末多武利神社
(京都府宇治市宇治又振47)
