藤原真楯
ふじわらのまたて
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 公卿
奈良 [715年~766年]
藤原真楯とは?
藤原真楯(715-766)は、奈良時代の公卿。藤原北家の祖である藤原房前の三男。聖武天皇に才能を見出され寵遇を得て、光仁天皇まで5代に渡って仕えた。特別に聖武天皇から命じられ、上奏や勅旨を伝達する役目を担っており、誉れが高いことを従兄弟の藤原仲麻呂から妬まれることもあった。748年、兄・永手よりも早く公卿に列した。しかし756年に聖武上皇が崩御すると永手が一躍昇進し、真楯を追い越す。その後も兄弟で競い合うように順調に出世を重ねた。また、仲麻呂政権下で唐風への官名改易に賛同し、自身もそれまでは藤原八束と名乗っていた名を、760年に唐風名「真楯」の賜与を受け変更した。仲麻呂に賛同していたかに思われたが、藤原仲麻呂の乱では孝謙天皇側に与する。同じ頃来朝した渤海使の楊承慶は、翌年の帰国直前に真楯が催した餞別の宴に非常に感動し、真楯を賞賛している。766年、大納言に任じられたが、2か月後に52歳の生涯を閉じた。孝謙天皇の命で大臣待遇の葬儀が行われ、太政大臣の官職を贈られた。大伴家持と交流があったらしく、万葉集に8首の歌を残した。 滋賀県長浜市高月町雨森にある天川命神社は、真楯を含む58柱を御祭神として祀っている。五十八社権現宮とも呼ばれていた。
ご神徳
ご神徳は不明です。
