藤原俊成
ふじわらのとしなり
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング4751位
- 公家(貴族)
- 歌人
平安~鎌倉 [1114年~1204年]
藤原俊成とは?
藤原俊成(1114-1204)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家で、歌人。藤原北家御子左流、藤原俊忠の子。当初は勧修寺流・藤原顕頼の猶子になり顕広と名乗っていたが、後に実家に戻り俊成と改名した。若いころは18年間従五位下のままで停滞していたが、美福門院加賀との再婚などで1145年以降徐々に昇叙されるようになった。藤原為忠が主催した為忠家百首へ参加してから本格的に歌を詠み始め、1140年から翌年にかけて、自らの処遇に対する不満や悲しみ、出家の迷いなどをしたためた「述懐百首」を詠んでいる。1167年、念願の公卿へとなり様々な社頭歌合の判者を務めたが、1176年、元々患っていた咳病が悪化したため、出家した。1183年、後白河院の命により「千載和歌集」を撰進をはじめ、息子・定家の助力もあり1188年に完成。これによって名実ともに歌壇の第一人者となった。以降も1197年には式子内親王の命により歌論書「古来風躰抄」を献上した。様々な功績から歌人として厚遇され、晩年も作歌活動は衰えなかった。 京都府京都市下京区俊成町にある俊成社は、俊成を主祭神として祀っている。91歳の天寿を全うした俊成を町民たちが祀ったのが始まりで、俊成は当時としては長寿だったことから、健康長寿のご利益があるとされている。
ご神徳
健康長寿
別称・異称
釈阿しゃくあ
その他
藤原顕広ふじわらのあきひろ
その他
