藤原高房
ふじわらのたかふさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 公家(貴族)
平安 [795年~852年]
藤原高房とは?
藤原高房(795-852)は、平安時代初期の貴族。藤原北家魚名流、藤原藤嗣の三男。822年から右京少進、式部大丞をそれぞれ務め、827年に美濃介に任命され美濃へと下向した。美濃では何事も他人任せにせず、存分に内政手腕を振るった。安八郡で貯水用の渠の堤防が決壊していたので高房が修理をしようとしたところ、周辺の民が「渠の神の祟りがあるため修理できない」と言った。しかし高房は、「民に利益があるならば自分が祟られようとも恨むところはない」と堤を築き灌漑を行い、周辺の水不足を解消した。また席田郡には妖しい巫女が人々をかどわかしていたので、高房は単身乗り込み巫女を厳しく罰し、人々を安堵させた。このように高房は領内統治に尽力した上、身長は当時では珍しく180cmほどあり、体力も並より優れ、小さなことにこだわらない豪胆な性格であったため人心を集めた。その後も備後、肥後、越前などの国主を歴任した。851年、背中に出来た悪性腫瘍のため58歳で死去。茨城県筑西市泉に菅原道真とともに流罪となった中納言・藤原高房の供養塔があるが、道真流罪の頃には既に高房は死去していたため、高房の子と混同されたものと推察される。 栃木県日光市湯西川にある高房神社では、高房を主祭神・高房大明神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
高房神社
(栃木県日光市湯西川1038)
