藤原家隆 神社の神様 - 神社ファン

藤原家隆

ふじわらのいえたか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
藤原家隆

菊池容斎(前賢故実)

祭神ランキング1527位

  • 公卿

鎌倉 [1158年~1237年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 藤原家隆とは?

    藤原家隆(1158-1237)は鎌倉時代前期の公卿であり歌人。権中納言藤原光隆の次男。母は太皇太后宮亮藤原実兼女である。藤原定家の父である藤原俊成に学び、出家した歌人寂蓮の婿という説もある。家隆は和歌所設立の寄人を命じられ、定家らと共に勅撰集である「新古今和歌集」の編纂に従事する。この時、後鳥羽上皇は頑固な性格の定家とは折り合わず、謙虚で温和な性格であった家隆が間を取り持つ役割を果たした。この事により家隆は後鳥羽上皇の信任が厚くなり従四位下の位を授けられている。しかし後鳥羽上皇は鎌倉幕府の転覆を意図した承久の乱の咎により隠岐に配流となり、定家が正二位権中納言まで昇りつめ歌壇の中心となる。家隆はその間も隠岐に配流された後鳥羽上皇と和歌のやり取りを続け、両者の交流は上皇が崩御することまで続いていた。その後家隆は従二位まで昇進するが体調を崩し出家する。法名を仏性とし、難波(大阪)の天王寺で80歳の長命で没している。 家隆は群馬県高崎市乗附町にある家隆神社に祭神として祀られている。家隆と定家がこの地に懸けられている歌の橋で出会い、互いに歌を詠みあった上で家隆は石の船に乗って烏川を渡り乗附に至ったという伝承が残されている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    従二位家隆

    じゅにいのいえたか

    その他

    祀られている主な神社

    小祝神社
    (群馬県高崎市石原町1247番地)