藤原温子
ふじわらのおんし(よしこ)
- 歴史的人物
- 女神・女性

祭神ランキング1527位
- 皇族
平安 [872年~907年]
藤原温子とは?
藤原温子(872‐907)は平安時代中期の女御。父親は藤原基経、式部卿忠良親王の女操子女王。温子はおんしともよしことも読まれる。東七条后あるいは七条后とも称される。第59代宇多天皇が即位に際して功のあった父基経を関白に任じようとしたが、その際に発した文章の文言である「阿衡」の文字がもとで父基経との間で政治的な諍いが勃発する。父基経は宇多天皇との関係を修復することを目的として温子を更衣として入内させた。この事により宇多天皇と父基経は和解を果たすことになる。温子は宇多天皇との間に均子内親王を一人娘として設けたが、皇子には恵まれていない。宇多天皇が和解した者の父基経への反発心があり、藤原北家の流れをくむ皇子の出生を望まなかったという説もある。宇多天皇が醍醐天皇に譲位した後は皇太夫人となり中宮を称する。出家後は七条后あるいは東七条后と呼ばれた。温子は和歌の才能が優れ、歌人である伊勢は温子の女房であった。36歳の若さで没している。 温子は岐阜県揖斐郡にある広瀬神社に祭神として祀られている。広瀬神社には天照大神、宇多天皇、藤原温子、敦實親王、同妃である藤原時平の娘が祀られ、五社大明神とも呼ばれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
藤原温子ふじわらのよしこ
その他
東七条后ひがししちじょうのきさき
その他
七条后しちじょうのきさき
その他
祀られている主な神社
広瀬神社
(岐阜県揖斐川町坂内広瀬2803番地)
