島津忠兼 神社の神様 - 神社ファン

島津忠兼

しまづただかね

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング457位

  • 武人

戦国 [1524年~1565年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 島津忠兼とは?

    島津忠兼(1524-1565)は、戦国時代の武将。島津家一門。薩州島津家4代当主・島津忠興の三男で、5代当主・島津実久の弟。 文武に優れていて、紫尾山周辺を支配していた渋谷氏や東郷氏に勝利したことから、兄・実久に野田を領地として与えられ、亀井山城に対して新城と称する城を構えた。1565年、甥で6代当主・島津義虎の命を受け、肥後国天草の長島の堂崎城を攻めた。1日目は決着がつかなかったが、翌朝のまだ暗いうちに再度攻め入った忠兼軍が、激しい戦いを制した。この戦いによって長島は忠兼の領地となったが、堂崎城主だった天草越前正の旧臣が、忠兼を讒訴する。それをうっかり信じてしまった義虎は、自らの居城の亀ヶ城へと忠兼を呼び出し、殺害。堂崎城の戦いの勝利からわずか3か月後、享年42だった。妻の玉衣の方と娘・与里姫は悲嘆に暮れ、後を追い自害したという。翌年から野田や長島の地域では疫病が流行り、数多くの人々が命を落とす中、これは忠兼の呪いであるとの噂が立った。義虎は忠兼の無実と自らの非を認め、忠兼が築城した新城跡に若宮神社を建立した。 鹿児島県出水市野田町にある若宮神社では、現在も島津忠兼を祭神として祀り、忠兼の命日である8月8日にご八日踊りと呼ばれる踊りを踊って忠兼の霊を慰める神事が受け継がれている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。