島津忠久
しまづただひさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

尚古集成館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング655位
- 武人
平安~鎌倉 [~1227年]
島津忠久とは?
島津忠久(?-1227)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将、鎌倉幕府御家人で、島津家の祖。正式名は惟宗忠久。母は源頼朝の乳母の子であったため、忠久はその縁で頼朝に重用されたといわれている(忠久を頼朝の庶子とする説もある)。生年については諸説あり、史料上の初見は1179年の春日祭使行列への供奉。1185年に島津荘下司職、翌年には惣地頭職に任命された。頼朝の奥州征伐や上洛にも従い、大隅国、薩摩国、日向国守護を相次いで補任。1198年には左衛門尉に任官され、「島津左衛門尉」を称した。頼朝が死去すると、1203年に比企の乱が起こり守護職を没収されたが、1213年には信頼を取り戻したと見え、3代将軍・源実朝の学問所番となり、薩摩国地頭職にも還補、御家人に復帰した。1221年の承久の乱の後は信濃国太田荘地頭職と越前国守護職を得て、検非違使などを経て豊後守に任じられるが、翌年赤痢と脚気により死去した。墓は江戸時代に頼朝の墓に寄り添うように建立された。 鹿児島県出水市野田町下名にある出水・龍尾神社は、島津忠久の居城・木牟礼城の旧跡に鎮座しており、忠久を御祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
惟宗忠久これむねのただひさ
その他
