島津歳久 神社の神様 - 神社ファン

島津歳久

しまづとしひさ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング582位

  • 武人

戦国 [1537年~1592年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 島津歳久とは?

    島津歳久(1537-1592)は、戦国時代の武将で、日置島津家の祖。父は島津隆久。兄には島津義久、島津義弘がいる。祖父・島津忠良に「始終の利害を察するの智計並びなく」と評価されるほど若いころから知略に長けており、初陣から父の隆久や兄の義久と義弘を数々の合戦で手助けした。参謀として裏方での活躍が多かったが、1562年の大隅国横川城の攻略戦では、総大将を務めた。翌年から歳久は吉田城を任される。その間に鎌倉では祁答院氏の勢力が衰退。渋谷氏、東郷氏などの一族も島津氏へ帰順し、島津氏は祁答院地方を平定した。1580年に歳久がこの祁答院十二郷の1万8千石を加増され虎居城に入る。酒豪な歳久は下戸の義久に代わり杯を受けることが多かったため、晩年は中風を患っていた。豊臣秀吉の九州征伐で兄・義久と義弘が秀吉に降った後も歳久は反抗し、歳久の家臣も秀吉の籠に矢を射かけるなどした。秀吉への反抗を見かねた義久が送った追討軍が襲ってきた際は自害しようにも病で刀が握れず、家臣の原田甚次が首を取ったが家臣27名が殉死、追討軍の者も主君の弟を討つのは心苦しく、武器を投げ捨て声をあげて泣いたといわれている。 鹿児島県鹿児島市吉野町にある平松神社には、歳久と殉死した家臣たちの墓地があり、歳久が主祭神として祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。