島津久光
しまづひさみつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

原田直次郎 - 尚古集成館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 政治家
江戸~明治 [1817年~1887年]
島津久光とは?
島津久光(1817-1887)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけての政治家。別名は忠教。父は島津斉興、母はお由羅の方、養父は種子島久道。青年期には兄・島津斉彬とともにお家騒動に巻き込まれるが兄弟仲は悪くなく、非常に学問を好み国学に精通していた。1858年の斉彬の死去の際、遺言で久光の子・忠義が藩主となり、久光は忠義の後見を務める形で藩政の実権を握る。先代藩主・斉彬を崇拝していた藩士の西郷隆盛とは犬猿の仲であることが知られており、たびたび衝突している。京都では自らの藩の暴走した過激派尊王攘夷派藩士を処断し、英断だと賞賛された。この頃、久光の行列が、江戸からの帰路でイギリス商人一行を無礼を理由に斬りつける「生麦事件」が起こり、これが薩英戦争のきっかけとなった。1864年、参預に任命され、薩摩藩の公武合体運動を起こすが、結果的には頓挫した。その後、薩摩藩とイギリスは友好関係を着々と築き、ついに久光および薩摩藩は武力倒幕路線へと進む。しかし維新後は、下克上を果たされ久光は実権を手放すことになった。晩年は廃刀令に反発を続け、髷を切らず帯刀や和装もやめなかった。 鹿児島県出水市野田町上名にある若宮神社では久光を祭神として祀っている。また、鹿児島市照国町にある照国神社には久光の銅像が建っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
