島津義弘
しまづよしひろ
- 歴史的人物
- 男神・男性

尚古集成館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング776位
- 大名
戦国~安土桃山 [1535年~1619年]
島津義弘とは?
島津義弘(1535-1619)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。島津氏第17代当主。兄に義久、弟に歳久と家久がいる。医術や茶道、学問にも明るく秀でていたといわれる。鬼島津の名で広く知られているが、愛妻家であり、家臣に対しても主従分け隔てなく多くの家臣から慕われていた。敵に対しても情け深く、敵も含めた供養塔を建立するなどしていた。戦術面でも兵の数に驕る敵軍を少数精鋭で降すなど優れた統率力が見られ、1598年の泗川の戦いでは7千の兵で3万8千あまりの敵軍を破った記録が残っている。徳川家康もこれを「前代未聞の大勝利」と賞賛した。しかし関ヶ原の戦いでは、家康の要請で東軍として鳥居元忠が籠城する伏見城の援軍に馳せ参じたにも関わらず元忠が入城を拒否したため、敵の西軍4万の中で孤立した義弘は西軍に与する。西軍首脳陣にも軽視されたため積極的に参加することはせず、西軍が敗走を始めると敵中を正面突破し、捨て奸といわれる戦法を駆使し東軍の追撃を凌ぎ逃げ延びた。家康はその後島津討伐軍を編成したが、島津家の海賊化を恐れ結局は島津本領を安堵し、義弘もお咎めなしとする命を下した。晩年は若者たちの教育に尽力したという。 鹿児島県鹿児島市吉野町の鶴嶺神社など数カ所に義弘が主祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
