島津家久
しまづいえひさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~安土桃山 [1547年~1587年]
島津家久とは?
島津家久(1547-1587)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津貴久の四男であり、異母兄には島津義久、義弘、歳久がいる。15歳の初陣で敵を討ち取り、祖父・島津忠良に「軍法戦術に妙を得たり」と認められるほど軍略に長けていた。腹違いではあったが兄たちとは兄弟仲が非常に良く、協力し合いながら領土を拡大していく。1575年、家久が上洛した際にしたためていた「家久君上京日記」には、同じく上洛していた織田信長の軍勢が豪勢であったことと、信長が馬上で居眠りをしていたという話が残されている。薩摩へ戻り、1578年の耳川の戦いでは釣り野伏と呼ばれる戦術で大逆転劇を演じ、1584年の沖田畷の戦いでは、狭い道に誘い込まれた龍造寺隆信の大軍を混乱に追い込み本陣を襲撃するなど、家久の戦術が大勝を掴み取った。豊臣秀吉が九州へ台頭してきた際も家久は戸次川の戦いで仙石秀久を蹴散らすなど活躍した。しかし秀吉の九州征伐が本格化すると、居城の佐土原城を開城。豊臣秀長との謁見後、41歳で急死した。病死とされるが、豊臣家による毒殺説なども存在する。 鹿児島県鹿児島市吉野町の仙巌園にある鶴嶺神社は、家久を含む島津家一族を祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
