島津運久
しまづゆきひさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

尚古集成館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国 [1468年~1539年]
島津運久とは?
島津運久(1468-1539)は、戦国時代の武将。薩摩国島津氏の分家・相州家2代当主。父は島津友久。伊作島津家の島津善久が家来に殺害された後、運久は善久の妻・常盤に惚れ込んだ。再婚を乞う運久に、常盤は善久の遺児・島津忠良を跡継ぎにすることを条件として提示する。運久は快諾して、念入りに相州家の家臣たちからも同意の誓書を用意し、忠良を養子として迎え入れ育てた。そして1512年に約束通り当主の座を忠良へ譲って隠居した。こうして伊作家・相州家の両家の家督を継いだ忠良と、忠良の子・島津貴久は後に島津宗家の家督を継ぎ、南九州統一の基礎を築くこととなる。運久は隠居後も宗家の領内平定戦に参加するなど、何かと忠良を助けた。1539年、72歳で死去。 鹿児島県南さつま市金峰町宮崎にある和多利神社には、忠良とともに運久が主祭神として祀られている。この神社は前身は運久が再興した寺であったが明治の廃仏毀釈のあおりで廃寺となり、跡地に29代当主・島津忠義が神社として創建したものである。また、社宝として加世田攻めの戦いに勝って帰る軍を迎えての運久と忠良が対面している画軸と、神鏡8面がある。その他にも騎馬を駆る武将の絵が残っており、近年それが運久を描いたものであることが判明した。
ご神徳
ご神徳は不明です。
