土居通増
どいみちます
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
鎌倉~南北朝 [~1336年]
土居通増とは?
土居通増(?-1336)は鎌倉〜南北朝時代の武士。土居通成の子で土居通重の親。兄弟に土居通世らがいる。伊予国(愛媛県)で父・通成を祖とする土居氏に生まれる。土居氏は伊予国の豪族・河野氏の支族であったが、後醍醐天皇による倒幕の計画に参加し挙兵。鎌倉幕府方についた河野氏とは敵対した。通増は一族の得能氏、忽那氏、祝氏らと連合を組み、石井浜の戦いやそれに続く星岡合戦で長門探題に勝利している。鎌倉幕府が滅亡し後醍醐天皇による建武の新政が成り、通増は従五位下に叙せられ伊予権介、のちに備中守に任ぜられた。しかし、建武の新政が破れ南北朝抗争の時代となると、新田義貞の軍に属して南朝方勢力再建に尽力する。義貞が恒良親王を擁し北国へ向かう際に従い、途中の越前国(福井県)荒乳の中山で足利高経の襲撃を受ける。厳しい風雪と食糧不足も重なり、通増や一族の多くが命を落とした。 通増は大川神社(滋賀県長浜市)や岩崎神社(愛媛県松山市)などで祭神としてまつられている。大川神社では一族をあげて天皇を奉じた忠臣としてまつられる。岩崎神社の建つ松山市には通増の邸があったとされ、現在その地に遺構はないが、近くの公園に通増の供養塔を見ることができる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
