土岐頼兼 神社の神様 - 神社ファン

土岐頼兼

ときよりかね

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

鎌倉 [~1324年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 土岐頼兼とは?

    土岐頼兼(?-1324)は鎌倉時代の武士。土岐頼貞の子。土岐頼遠ら兄弟は多数。美濃国(岐阜県)の豪族土岐氏に生まれる。後醍醐天皇が側近の日野資朝、俊基らと企てた討幕の計画に、土岐頼員(舟木頼春)、多治見国長ら一族と共に参加。京に上り、北野神社の祭礼日を挙兵決行日としていたが、計画は鎌倉幕府の出張機関である六波羅探題に露見する。京での宿舎が急襲され、頼兼を含む一族は討死や自刃して果て、倒幕は失敗に終わった(正中の変)。京都・三条河原にさらされた頼兼の首は家臣の根竹十郎によって持ち去られ、十郎の館がある根竹集落が見える高台に葬られたとされる。十郎はその場で殉死したとの言い伝えから、墓のあるこの場所を自刃洞と呼んでいる。自刃洞の近くには土岐氏が美濃の本拠地とし、頼兼が城主を務めた鶴ヶ城が築かれていた。関ヶ原の戦いの後、廃城になった鶴ヶ城だが、現在でもその遺構を見ることはできる。1905年、南朝方の忠臣であるとして、頼兼には正四位が贈られた。 頼兼は土岐神社(岐阜県瑞浪市)で祭神としてまつられている。土岐神社は、鶴ヶ城本丸付近の千畳敷と呼ばれる広場に建立され、創始は正中の変が起きた正中年間とされる。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。