土井利忠
どいとしただ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(大野藩)
江戸~明治 [1811年~1869年]
土井利忠とは?
土井利忠(1811-1869)は江戸時代の武士。土井利義の子で土井利恒らの親。越後国(新潟県)大野藩主・土井家に生まれる。父の第5代藩主・利義が隠居し、養子の土井利器に家督を譲った後に生まれ、利器の養子となり家督を継ぎ8歳で第7代大野藩主となった。19歳で初めて大野入りした時には、すでに藩財政は困窮を極めており、利忠は大赤字の財政を再建するため藩政改革に取り組む。1842年に自筆の改革令「更始の令」を発布し、中村重助、内山良休・隆佐兄弟などの人材を用い改革を進める。藩校・明倫館や洋学館の創設、疱瘡予防の種痘の実施、面谷鉱山の刷新、藩直営の大野屋の経営、地場産業の奨励、西洋式軍制の採用、蝦夷地の開拓、帆船・大野丸の建造などを次々と行った。多くの先進的な改革は成功を収め、大野藩の財政は黒字へと転換。4万石の大野藩は全国に知られる存在となった。病気のため1862年に家督を3男の土井利恒に譲り隠居。1868年に58歳で死去した。 利忠は柳廼社(福井県大野市)で主祭神としてまつられている。神社名は利忠が雅号とした「柳涯」に由来しているとされる。1908年に現在の地、亀山に築かれた大野城の麓に遷座された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
