田村顯允 神社の神様 - 神社ファン

田村顯允

たむらあきまさ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

江戸~大正 [1832年~1913年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 田村顯允とは?

    田村顯允(1832-1913)は江戸時代末期~明治時代の武士であり開拓使。仙台藩亘理領主伊達邦成に家老として仕える。本姓は常盤、通称新九郎であり、後に田村顯允を名乗る。幕末期に新政府と対立した仙台藩は奥羽同盟を結成し新政府軍と対立したが敗北。亘理伊達家も領地のほぼ全てを没収される事態となり領主、家臣共に窮地に追い込まれる。家老であった顯允は領主邦成に北海道に渡り開拓使として再起を図るべく提案する。東京に登り新政府と折衝に及んだ顯允は度重なる交渉の末、開拓の許可と共に有珠郡支配の辞令を太政官より獲得する。明治三年に至り亘理伊達家は茶器・甲冑・刀剣・書画の所蔵物は全て金銭に代え北海道に移住を始める。その後数年間にわたり徐々に移住を決行し、最終的に移住した人数は2700人を超える。その後、顯允は住民取締を命ぜられ、開墾指導と米金の分配にあたり農業を通じた開拓に尽力する。開拓が軌道に乗り室蘭郡長となった顯允はキリスト教に大いに感銘を受け日本基督一致教会の信徒となり、現在の日本キリスト教伊達協会に当たる紋鼈教会を設立した。 顯允は北海道伊達市にある伊達神社に祭神として祀られている。伊達神社は領主邦成公が祭主となり北海道有珠郡開拓と北門鎮護の守護神として創建した神社である

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    伊達神社
    (北海道伊達市末永町24番地1)