津野親忠 神社の神様 - 神社ファン

津野親忠

つのちかただ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

安土桃山 [1572年~1600年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 津野親忠とは?

    津野親忠(1572-1600)は安土桃山時代の武将。長曾我部元親の三男であり、母親は蜷川親順の娘。父元親は親忠が生まれる前年に高岡郡の豪族である津野氏を降し、当主であった津野勝興の元に嗣養子として嗣養子として親忠を送り込んだことから津野姓を名乗るようになった。勢力を拡大した長曾我部氏は国司の一条家を滅ぼし土佐一国を手中にし、さらには四国全体の統一を成し遂げる。しかし豊臣秀吉が四国征伐のために大軍を差し向けると父元親は降伏し、臣従の証として親忠は人質に差し出した。親忠は人質の身ではあったが、朝鮮出兵の際には武功をあげ、秀吉の重臣であった藤堂高虎らとも親交を深めることになる。その後、長兄である信親が戸次川の戦いで討ち死にすると長曾我部家内では跡目争いが勃発した。親忠も巻き込まれていくことになるが、盛親を押した家臣らの讒言により父元親からも疎まれ一時は幽閉されてしまう。その後、当主となった盛親は関ケ原の戦いで西軍として参戦し敗北。親忠は高虎や井伊直政のとりなしで徳川家康の許しを請おうとするが、またしても家臣らの讒言により阻止された上自害に追い込まれた。 親忠は高知県香美市土佐山田町にある津野神社に祭神として祀られている。津野神社は自害した親忠の墓所の上に建立された神社である。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。