津軽信英 神社の神様 - 神社ファン

津軽信英

つがるのぶふさ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
津軽信英

黒石神社所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 幕臣(旗本)

江戸 [1620年~1662年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 津軽信英とは?

    津軽信英(1620-1662)は江戸時代前期の大名。父親は弘前藩第2代藩主津軽信枚、母親は松平康元の娘であり徳川家康の養女の満天姫。父信枚が他界すると兄信義が家督を継承し第3代弘前藩主となった。信英は信義と共に第3代将軍徳川家光に御目見し、小姓組に就任。幕府の旗本となる。信英は儒学、兵学を山鹿素行に深く師事し、剣術は一刀流梶新右衛門、馬術は吉田八条流から学び文武両道に秀でて幕府からの信任も厚かった。一方、兄の信義は母親が石田三成の娘であり、幼少期を上野国大舘で過ごしていたことなどから地元の家臣との折り合いはあまり良くなかった。信英の藩主に擁立を企てた正保の騒動などが勃発している。やがて兄信義が死去すると、第4代藩主を信義の嫡男が継承するが、幼年であったために信英が後見として藩政を取り仕切ることになる。信英は藩政に力を振るう一方で弘前藩からは5000石が分地され黒石津軽家を開く事となった。弘前藩政では「津軽家家訓」を発布し、家臣、領民には儒教的な戒めを含んだ諸法度を制定し、黒石では村の繁栄に力を尽くし表高は5000石であったが実石は10000石を超えるまでになったと言われている。 信英は青森県黒石市にある黒石神社に祭神として祀られている。黒石神社は、もともとは信英が死去した際に儒教式の葬儀を執り行った黒石陣屋の一角に設けられた廟であった。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。